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今さらだけど鳩ちゃんに借りた「バカの壁」読みました。

そうだよねーって思いながら読めたけど、内容としてはそこまで目新しくないっていうか、
大学時代とか大学院で学んだことと同じような気がした。
こういうことって養老さんだけじゃなくみんな(じゃないけど多くの知識人が)割と前から言ってることなのではないかなーと思った。
国際関係論のセオリーでやったロバート・コックスとか、ポストモダニズム論も同じようなことを言っていると思う。バカの壁、ってのじゃなく、真実は一つじゃないって意味で。
けれど、それをわかりやすく書いて(しゃべって)、あそこまで多くの日本人に読ませたのはすごいことだよね。

私はこの本のコアな主題とは少し離れるが、
日本人が多神論的ということをあらためて興味深く読んだ。

私たち日本人には歴史的にも遺伝子的にも、多神的精神が根本でそれが自然なのに、
西洋の一神論的社会にあわせなくてはいけないっていう似非グローバリズムの風潮の中で、
やっぱり無意識に多大なストレスやゆがみを受けているから
こういう本を読んで現状を把握することによって、少し気持ちが救われているのかもしれない。

たとえば学術シーンも
アカデミックライティングとかディベートとかアーギュメントエッセイとか、
論証とか、筋の通った議論とか、客観的でなくてはいけないとか、
完全に一神論的に支配されてるけど、
本当はアーギュメントエッセイなんて、それこそ人をどんどんとバカにするものだと思う。

だって客観的に書くのが大前提だけど、そもそも「私客観的です」って言うことほど胡散くさいことはないし。

いくら色々な意見のバランスをとったって結局は一つの意見の筋を通すことがアカデミックエッセイで大事なのだとしたら、それはやはり普遍の真実があるという前提のもとでないと書くことできないし。

だけど普遍の真実なんてあるって思うのが危険だ。(って養老さんも言ってる)

多神論的考えが染み付いた私たち、少なくとも私からすると
一つの物事に対する正しい意見なんてないのに、
レファレンスで固めて一貫して主張し、押し通すことにそこまで意味があるのかね?
客観的になるなんてそもそも無理なんだし、
白黒はっきりさせないことで救われてるようなこともあるのに。
っていう気持ちが根本にあるから、
アーギュメントとかすごい嫌いだったんだよね。

イエス・ノー どちらでもないこともあるでしょ♪ってYUKIも歌ってるし。

どっちも考えて、あやふやなままにしておいてもいいのじゃないかい?っていつも思ってた。

だからアーギュメントエッセイとか、ディベートとか、個人的意見としては大嫌いだし、苦手で
別に悪いことじゃなくて、有効な点もたくさんあるけど、私はやっていて心が苦しくなった。

やっぱそれは多神論的精神をもつ自分が、一神論的学術シーンにあまりなじめなかったということだろう。
と、バカの壁を読んだ今思う。

そしてそういう教育を身をもって受けて、知れた、っていうことはすごく価値あることだけど、
別に卒業した後まで無理にそれを受け入れなくてもいいって思うし、
事実これからはアーギュメントエッセイとか書こうとせずに、
ディベート大会にも参加せずに、
好きなようにあやふやに生きていきます。(ってこれが言いたかったのか・・・?)

なんか通訳ブログに書く必要のない、完全に自分のための、「バカの壁」感想文になってしまったよ。

バカの壁に触発されていろんな考えが浮かんじゃって
本当はもっとつらつらと様々なことについて考えたんだけど、このへんで。
書いてちょっとすっきりしました。














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